ノンデュアリティかなもり幼稚園
バタ足ノンデュアリティ
\ Yeah! /
〔 園長の本 〕
現在、『バタ足ノンデュアリティ』シリーズ四冊が出版されています。
五作目 2024年11月7発売
ただそうあるだけ
〝彼〟が教えてくれたこと
(ナチュラルスピリット/覚醒ブックス)
『バタ足ノンデュアリティ』第五弾です!
今作は、物語です。小説です。私の幼い頃、若い頃の実話がたくさん出てきますよ。
話は、六年近くにおよんだうつを抜け出した主人公の静かな語りで幕を開けます。
そこから、時を遡(さかのぼ)り、うつ真っただ中の日々のなかで、ある日、少年時代の自分――もちろん幻覚ですが――に出会うことで、物語がゆっくりはじまっていきます。
そんななか、主人公が何気なく少年にした、ある質問が引き金となって、そこから、主人公にとってはチンプンカンプンとしか言いようのない、〝ほんとうの話〟が少年の口から飛び出すようになっていきます。
主人公をからかうように笑いながら真理を話す少年と、真理になどまったくと言っていいほど興味のない、そして、いくらかの改善を見せてはいるが、まだうつの苦しみのなかにある主人公との会話で、物語は展開していきます。
今作は、「理解や理屈ではない何か」ということが大きなテーマとなっています。
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『バタ足5』出版うらばなし
本書は、小説の形態をとっていますので、「まえがき」はありません。ページをめくったら、即、物語がはじまります。この〔出版うらばなし〕を「まえがき」に代えてお届けします。
五作目のおおまかな構想は、昨年の夏頃にはできあがっていて、だいたいの骨組みもすぐに固まりました。
そして、最初の原稿ができあがったのが冬の手前頃。編集は、今回も、バタ足1からずっとお世話になっている Megumi Yoga Tokyoの西島さん(Yogaページ/Editing & Writingページ)が担当してくれることになり、年が明け、2024年に入ってから、のんびり、ゆっくり、推敲と校正作業がすすんでいきました。
今作は、小説の形態をとっていますが、あくまでも、ノンデュアリティの指南書として書かれた作品です。その重要な役割である「真理を伝えること」に関して、ある秘密が隠されています。読者のみなさんへの〝贈り物〟ともいえます。
このために、どうしても小説の形態をとる必要がありました。もし、今作の骨組みをまとめるときに、この〝贈り物〟が思い浮かばなかったら、本書は、哲学書などでよく見かける、「対話篇」といわれる、名前の下にセリフがあって、ほとんどが対話だけで進行していく形式のものになっていたでしょう。でも、それでは、〝贈り物〟はできなかったのです。
このあたりのことは、本の「あとがき」に書かれています。
最後まで〝贈り物〟を知らずに読みすすめて、「そういうことが隠されていたのか!」という感覚を楽しみたい人は、「あとがき」を読まずに本編に入っていくのがいいでしょう。
反対に、「先に〝贈り物〟を知りたーい!」という人は、「あとがき」を先に読んでから、本編に入っていくのがいいでしょう。
また、本書は、15の章と短い追伸で終わっていますが、物語の余韻を楽しみたいという方は、「あとがき」を先に読んで、「追伸」で本を閉じる、というのも一つの楽しみ方かな、と思います。
〝贈り物〟について気づいたことがありましたら、~ARE YOU HAVING FUN?~ページの投稿フォームから送ってみてください。
私が今作で、もっとも気を使い、推敲にも時間をかけたのは、物語全体が軽い印象に〝ならないように〟することでした。とくに、主人公と少年の会話部分は、そこだけを見ると軽い印象が残る文体と内容になっています。その表面的な軽さによって、物語全体の奥にある〝静かな軽さ〟が、見えなくなってしまったり、かき消されてしまったりしないようにすることでした。
会話部分でふわふわと軽くなった印象を、ときに必要であれば、やや硬派な表現を織り交ぜた「地の文(じのぶん/会話以外の叙述部分)」で、そのつど、そのつど、地面に引きずり戻す、ということを意識しながらまとめていきました。〝贈り物〟を忍ばせることと、もう一つ、こんな理由から、「地の文」が一定の割合を持つ小説の形態である必要があったのです。
さらに、もう一つ、私がこの本を書く上でこだわった点があります。以前から、私は、ある男性タレントさん――誰もが知っていると思います――のナレーションや本の朗読が、なんとも雰囲気があって好きなのですが、そのタレントさんがこの本を朗読してくれているところをイメージしながら、文章を書きすすめていきました。
190ページほどの、それほど長くない物語ですので、みなさんにも、スルスルと読むというより、静かな雰囲気で朗読された音声を聴いているかのように、ゆったり、じんわり、読んでもらえたら、と思っています。
また、ホームページ〔園長のおまけプロフィール&エッセイ〕の『トンボのメガネ』(私の少年時代から30歳ころまでのあれこれをつづったエッセイ)を読んでおくと、主人公の背景がわかって、本がさらに楽しめると思います。ぜひどうぞ。
それと、今回も、出版を記念して、西島さんとのおしゃべり動画がありますので、どうぞご覧ください。おもしろいですよ。
四作目 2023年5月12日発売
バタ足ノンデュアリティ4
ぜんぶが夢で、ぜんぶがホント
豪華客船『オーシャン・ノンデュアリティ』の旅
(ナチュラルスピリット/覚醒ブックス)
『バタ足ノンデュアリティ』第四弾です!
今回は、船の旅です。豪華客船『オーシャン・ノンデュアリティ』で、ゆったり、ゆったり、旅を楽しんでください。船長の金森がご案内いたします。
タイトルの「ぜんぶが夢で、ぜんぶがホント」は、すべてが見えたときにわかります。
そして、この感覚が本当の意味で、これ以上なくはっきりと実感されたときに、すべての疑問と不満が消えます。それを、ひとりでも多くの人に実感してほしい。本書には、そんな思いが込められています。
『バタ足ノンデュアリティ』の全体像をつかんでください。そのために欠かせない大前提からはじまり、多くの人がつまずきがちな点について、さまざまな角度からお話ししています。
これまでのバタ足シリーズ三冊で得たさまざまな知識が整理され、あなたの勉強が〝自然に〟深められていくでしょう。
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『バタ足4』出版うらばなし
2019年5月にブログをスタートし、〝誰かに読んでもらうために文章を書く〟ということがはじまりました。
その後、立てつづけに三冊の本を書く機会に恵まれるなか、それと平行して、結局、本一冊分ほどのボリュームにもなったユーチューブ『聴くおさらい帳』のシリーズ2『バタ足ノンデュアリティ特別講座in軽井沢♪』の原稿づくりや、ナチュラルスピリットさんのウェブマガジンへの寄稿などもあったことから、約二年半、ずーっと何かしら書いている生活がつづきました。
そんなことから、2021年10月に『バタ足ノンデュアリティ3』の執筆作業をすべて終え、「さあ、あとは発売を待つだけ」となったとき、このあとしばらくは、文字ではなくて、ウェブ講義を中心に、声でメッセージを伝えていこうかな、などと考えていました。
そうして、少しのんびりした日々を過ごすなか、年が明けて2022年、春の声が届きはじめた3月に入ってすぐの頃でした。
たまに歩く散歩コースに桜並木があるのですが、ほんのり色づきはじめた桜のつぼみを、ぼんやり眺めていたときに、ふと、前の年の11月からスタートしたウェブ講義の重要な部分だけでも文字にして残しておこうと思い立ったのです。
そのうち何かの役に立つだろうという程度の軽い気持ちだったのですが、録音音声を聞いていくうちに、次第に、ひとつの思いがわきあがってきました。
「いろいろ話してきたことを活かして、〝アレ〟に挑戦してみるか」
それから二週間ほどで、全体の「骨組み」を固めました。
〝アレ〟というのは、じつは、2020年に一冊目の『バタ足ノンデュアリティ』が世に出てすぐの頃から、「できれば、『バタ足』を体系的に学べるようなものがあったらうれしい」という声を数多くいただいており、気にはなっていたのですが、「体系的に、と言われてもなあ……」と、これといったアイデアがないまま時間が過ぎていました。そのことです。
それを、この機会にかたちにしてみようと思ったのです。「体系的に」などとていうことはできなくても、バタ足の全体像がわかるようなものなら書けるだろうと、そんなことで書きはじめたのです。
そして、書く意欲も満々だったのですが、今回は、ゆっくり書いていこうと思いました。
じっくり腰を据えてすすめていこうと。
そうして、書きすすめていき、気がつけば、本に換算したら、600ページにもなりそうな文章量になりました。
さすがにこれはマズいので、削れるところを削っていき、400ページ程度に収まるように仕上げました。
内容について、少しだけ触れておくと、ぜんぶで六つの章にわかれていて、先の四つの章で、「これを知らなきゃ何もはじまらないよ」という大前提の話、「ひとつである」とはどういうことなのかという話、あなたを重たくしているものの話、「事実」との向き合い方についての話をし、残りの二つの章で、みなさんからいただいた質問とその回答を、「この勉強上のこと」と、「他者・人生・老い・死などについて」にわけてお伝えしています。
ほぼ完成していた原稿をぼんやり眺めていたとき、ふと、どれかひとつをユーチューブにアップしてみようと思い立ちました。
思い立ったことはすぐにやらないと気が済まない私。
どれをアップするかは、すぐに決まりました。
学んでいく大前提として、みなさんに、これだけは押さえておいてほしい内容です。
それが、『私たちが生きている世界はこうなっている。』です。
公開してみると、思いのほか反応がよく、今回の本に対する手応えを感じました。
ここから推敲(すいこう=文章や内容を何度も練りなおし、より質の高いものに仕上げること)を重ね、原稿が完成しました。納得のいく仕上がりとなりました。
チェックのために何度も読み返しているうちに、これまでの三冊以上に「世に出したい」という思いが強くわきました。
『バタ足4』発売から、1か月がたって(2023年6月追記)
みなさんから、たくさんの声をいただいています。喜びの声、感嘆の声、「涙、涙」の声、そのほかいろいろ。
わたしがいま思うのは、「この本を書いてほんとうによかった」というひとことに尽きます。
ひとりでも多くのみなさんに読んでほしいと思います。
それと、印刷に入る前にあれだけ繰り返し繰り返しチェックしたにも関わらず、やっぱり!誤字脱字がいくつもありました。あれだけ読み返しても見つからない。不思議です。
現時点(2024年10月19日)でわかっているものを、ここでお知らせしておきます。
◆86ページ/最後の行
誤)本当はいないなずの ⇒ 正)本当はいないはずの
◆100ページ/最後の行
誤)思考で捉え方を変えようする行為 ⇒ 正)思考で捉え方を変えようとする行為
◆224ページ/8行目
誤)そのような行動 ⇒ 正)どのような行動
◆288ページ/8行目
誤)などというものない ⇒ 正)などというものはない
◆310ページ/8行目
誤)生り茂り ⇒ 正)生い茂り
◆310ページ/9行目
誤)つくりだすこのできない ⇒ 正)つくりだすことのできない
◆369ページ/最後の行
誤)ことありません ⇒ 正)ことはありません
◆380ページ/最後の行
誤)そこ現れる ⇒ 正)そこに現れる
三作目 2021年12月発売
くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373選
~バタ足ノンデュアリティ3~
(ナチュラルスピリット/覚醒ブックス)
『バタ足ノンデュアリティ』第三弾です!
今回のテーマは、「くり返しとしみ込み」です。
たくさんのメッセージたちと戯れてみてください。
メッセージに触れること自体を楽しんでください。
それによって、あなたのなかで〝気づきの芽〟が勝手に育っていきます。
そして、あるとき、何でもないことがきっかけになって、「はっ」とするということが現れるんです。
メッセージは、考えるための材料などではありません。理解するものでもありません。
ただ受け取るだけです。
受け取ったまま放っておいてください。そのうちに、メッセージそのものが、自分で必要な仕事をはじめます。
その力を信頼してください。
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『バタ足3』出版うらばなし
『バタ足シリーズ』第三弾となるこの本は、以前に書いたブログの記事や、登録者さん限定(今はない制度)の記事や、ユーチューブ『聴くおさらい帳』や、未発表記事などから、重要な部分だけを切り抜き、それとは別に、新しく書き起こしたメッセージを盛り込んで一冊にまとめたものなのですが、思いのほか時間がかかりました。
この本は、〝読む〟というより、どこでも好きなページを開いて、メッセージと戯れてもらうことを意図しました。
ですから、メッセージの内容をジャンルわけなどをせずに、あえてランダムに並べています。
メッセージがずらーっと、並んでいます。
「書くのも楽だったのでは?」と思う人も多いのではないかと思います。私も、さらっと行くと思っていました。けれども、実際にには、まったく違いました。
「ランダム」ということを、意志をもってやることのむずかしさ、でした。
これをあっちにもっていって、これは、こっちに移動。
こっちからあっちへ。
いや、だめだ、こっちだ。
そんなことを延々とくり返しました。
そして、「よし、これでオーケー」と思って、読み直すと、どうも違う。
そして、またやり直すということのくり返しになりました。
最初、メッセージは、250個ほどでした。
それが、あれもこれもと入れ込んでいるうちに、430個近くにもなってしまい、これはマズいと思って、最終的にざっくり削って、373個まで絞りました。
そして、やっと完成。
何度も読み直し、最後には、「よし、いい出来だ」と満足できる私がいました。
こうして、ヘトヘトになりつつも、やっとできあがった満足のいく原稿を、ナチュラルスピリットさんに送りました。
そして、原稿が編集者の西島さんにまわり、そして、数か所の修正の指示を受け、それを修正後、デザイナーさんに原稿がまわりました。
そして、待つことおよそ1か月後、「初校」が上がってきました。
いい!
Wordでつくった原稿が、本らしくなって上がってくると、またぜんぜん違います。
そして、読みすすめる。
……ん? んん?
さらに読みすすめる。
……んんん?
止まる。
パラパラとめくっていく。
愕然としました。
あんなに何度も見直したはずが、大きな欠点を見逃していたのです。
これは、修正するしかない。
しかし、やるとなると、大量の作業になる。
しかも、「初校」が上がってきたあとの修正は、データ上での修正ではなく、赤ボールペンでの書き込み作業です。
でも、やらねば。
編集の西島さんにもたいへんな苦労をかけることになる。
すぐに西島さんに連絡をした。
「すみません、大量の修正が出ますけど、どうしても直したい」と。
すると、「納得いくまでやってください」と、女神様のような返事をいただいたのです。
結局、「初校」だけで、500か所以上の修正。
そのあとの「再校」でも「三校」も合わせると、600か所以上にのぼりました。
こうして、できあがったのが、『くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373選 バタ足ノンデュアリティ3』なのです。
エッセンスが詰まっています。
何度も読んで、しみ込ませてください。
この勉強は、「しみ込ませた者ン勝ち」です!
ちなみに、この『バタ足3』の表紙では、「バタ足くん」が、バタ足ではなくて、クロールになっているんですよ。
「バタ足くん」も少しずつ進歩しているのです。みなさんもごいっしょに(^.^)
『バタ足3』発売から、丸1年がたって、改めて思うこと(2022年12月追記)
『バタ足』のエッセンスを、「これでもか!」というほどに盛り込んだメッセージ集です。
長ったらしい説明の文章はほとんどないため、どちらかというと、少し勉強がすすんだ「年中さん・年長さん向け」の内容となっています。
発売日からちょうど一年がたった2022年12月18日のこと。夕方、たまたま空いた時間ができたので、改めて、頭からぜんぶ読み直しました。
いやー、いいことが書かれているなあ、と本当に思います。こんなことを言うと、「自分の本を、よくも恥ずかしげも褒められるものだ」と思う人もいるかもしれませんが、この勉強をしている人はわかるでしょう。
「私」がやったわけではありませんから。
「私の体」を通して文章が出てきただけだです。
現れるべきものが現れ、世に出ただけ。私は何もやっていない。
だから、言えるのです。
純粋におもしろいと。
『バタ足3』は、〝実践の宝庫〟でもあります。
知識は、自分でたしかめなければ、いくら抱えていても、何の意味もありません。
自分でたしかめる手立てとして、ぜひ役立ててほしいと思います。
二作目 2020年11月発売
ノンデュアリティって、「心」のお話じゃないんですよ!
~バタ足ノンデュアリティ2~
(ナチュラルスピリット/覚醒ブックス)
『バタ足ノンデュアリティ』第二弾となる本書は、前著からさらに一歩すすみ、Q&Aと実践をとおして、「頭の理解」ではない「感覚」の大切さをもっともっと知っていただきたいという思いから書きました。
「私にでもノンデュアリティに近づける方法があると言ってくれることがとても救われます」
「迷ったときに本を開くと、いつも答えてくれる」
「自分の中にすべてがある。五感でとらえるものは自分の内にあり、それがすべてなのだ、ということにハッとしました。」
「車のクラクションや10円玉が真理だなんて!なんて楽しい!」
などなど、たくさんの声をいただいています(^^)
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『バタ足2』出版うらばなし
じつは、この『バタ足2』は、『バタ足1』が出版される前に、書き上がっていました。
『バタ足1』のところで書いたように、原稿が編集者さんからデザイナーさんに渡り、こちらに戻ってくるまでに、けっこうな日数がかかります。
『バタ足1』では、そういうものだということを知らなかった私は、もっとポンポンすすんでいくものだと勝手に思っていたので、やや拍子抜けするというか、エネルギーがあまったのです。
それで、原稿が戻ってくるまでの空いた時間を使って、なんとなく書きはじめたのが、この『バタ足2』です。
2019年5月に書きはじめたブログが、3か月ほどで、まあまあたくさんの人が読んでくれるようになっていて、質問を受けて答えるためだけの別のブログを立ち上げました(※いまはもうやっていません)。
そこで課題を出してみたりもして、読者さんとのつながりを持ちました。
そのなかでの質問への答えに対する反応が思った以上によく、私としては、それなりの手応えを感じたことから、これを本にまとめたら、たくさんの人が知りたいことを伝えられると思いました。
たくさんの質問のなかで、「で、具体的にどうしたらいいのしょうか?」「取り組みのようなものはありますか?」といった質問がとても多かったので、それに答えるかたちで、実践方法も組み合わせたものになったわけです。
そんなことがあって、一冊めが出版される二週間ほど前に、別の用事でナチュラルスピリットさんに行ったときに、「あのー、じつは、二冊めが、もうほほできあがってしまっているんですけど」という話をしました。
そして、翌日に原稿を提出しました。
そのときの総文字数が、80,000字ほど。
『バタ足1』とほぼ同じくらいのボリュームです。
そして、編集者の西島さんからの修正指示などがくるまでには日にちがあるので、こちらで修正できるところはしておこうと読み直していきました。
すでに何度も読み直しているはずのなに、読んでいくうちに、ある考えが頭をめぐりはじめました。
それが次第に大きくなっていきました。
やがて、それが抑えきれなくなり、いても立ってもいられなくなくなり、ナチュラルスピリットさんにメールを書きました。
「すみません、原稿を大幅に書き直したいんです!」と。
読み直しているうちに、質問への回答が、全体に淡泊すぎると感じたのです。
もとになっているのは、質問専用のウェブサイトで回答したもののなかからセレクトした質疑応答。
ウェブサイトでは、翌日に補足記事を書いたり、質問者と簡単なやり取りがあったりしましたが、本では、そのあたりまでは記載しておらず、メインとなる回答だけ。
それだけを、読んでいくと、よくいえば、スッキリ、わるくいえば、やや不親切、そんな印象を受けたのです。
執筆中は、感じなかったのですが、改めて一気に読んでいくと、これはちょっと……という感じがしてきて、どうしても書き直したくなりました。
ナチュラルスピリットさんには、すぐに了解をもらえました。
それから1か月半ほど、その修正作業に集中しました。
大量の書き足し&修正となり、結局、文字数にして、20,000文字ほど増え、約100,000字の仕上がりになりました。
本のタイトルは、原稿を提出する際に、仮でつけておいたものが、今回はそのまま採用されました。
みなさんからのたくさん質問で、多くの人が、「心」のようなものをどうにかしようとしているので、「それは違うよ、迷うだけだよ」ということをどうしても伝えたかったのです。
こんな感じで、二冊目の『ノンデュアリティって、「心」のお話じゃないんですよ!』は世に出たのです。
『バタ足2』発売から、2年と1か月がたって、改めて思うこと(2022年12月追記)
本書でお伝えしたいことは、「さ迷う思考」となかよくしていて、明るい気持ちになったり、軽くなることは絶対にありませんよ、ということ。
本来は、どのような思考が現われようと、それがいまの自分のようすであり、そこに何も問題はありません。
それどころか、そこに、〝まぎれもない真実〟があります。
「さ迷う思考」を静めようとする必要など何ひとつありません。
というか、静めようとすること自体が、迷いをつくっていることがわかります。
けれども、それが本当にわかるためには、どうしても、一度「思考」から離れる経験が必要なのです。
多くのみなさんは、いまある苦しみをどうにかしたいと、「思考」のなかを探ります。
「心」のようなものが実在すると思い込み、そのなかに、自分から迷い込んでいきます。
また、多くの人が、ノンデュアリティを精神世界の話のように思い込んでいて、それがまた、迷いの原因となっていることもあります。
それに対して、「ちょっと待ったーっ!」と声をあげているのが本書なのです。
じっくり読み返してみて、改めて思うことは、より多くの人に、シンプル極まりない「真実」に気づいてほしい、多くのみなさんが思っている「心」のようなものはないのだ、と気づいてほしい、そのためのヒントが山のように埋め込まれているということです。
「心」と言われるものは、ただの思考にすぎません(別の一面もありますが、それはまた別の機会にお話ししましょう)。
特別なものではありません。
頭ではわかる人も多いと思います。
でも、この勉強は、頭ではだめなのです。
実体験以外にありません。
とにかく、くり返し読んでいただきたい。
読む人の勉強の段階に応じて、質問の回答や実践が、さまざまな表情を見せるはずです。
それがそのままあなたの成長の度合いを表しています。
初作 2020年1月発売
バタ足ノンデュアリティ
~ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!~
(ナチュラルスピリット/覚醒ブックス)
『バタ足ノンデュアリティ』第一作目!
ノンデュアリティは、決してむずかしいものではないんですよ、日常生活のなかで感じられるものなんですよ、ということを一人でも多くの人にお伝えしたくて書きました。
「難解な本の言っていることが、少しだけど、わかるようになった」
「ノンデュアリティは理解不能と思っていたが、これなら自分にもわかるかもしれないと思った」
そのほか、
「お高くとまってない庶民派ノンデュアリティ」
「お味噌汁みたいなノンデュアリティ」
など、楽しいネーミングもいただいています(^o^)/
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『バタ足1』出版うらばなし
2019年の5月の中旬ごろにブログを書きはじめ、7月に入ってすぐに、本の構成を考えはじめました。骨組みです。
出版できる当てがあったわけではありません。ただ、なんとなく思っただけです。「骨組みをつくる」が現れただけ。
それでも、「よし、これでいこう!」というのがなかなか浮かばず、1か月ほどぐだぐたしていました。
やがて、ぼんやりですが、「こんな感じでいくか」と決まり、とりあえず本文を書きはじめました。
書きはじめたといっても、ブログに書くために書きためていたものがたくさんあったので、比較的サクサクとすすみました。
1か月ほどで完成。そして、あれよあれよというまに、出版が決定したのです。それが2019年9月のこと。
そんなことで、人生初の本を書くことになったわけです。
こうして、出版に向けての本格的な作業がはじまっていったわけですが、初の体験となる私にとって、原稿を書き上げてから出版までの時間は、とても長く感じました。
編集を担当してくれたのは、
・フリーの編集者で、
・ヨガインストラクターで、
・バイリンガルで、
・インターネットラジオのナビゲーター
Megumi Yoga Tokyo 西島恵(にしじま・めぐみ)さん( ➡ ヨガページ/ライターページ)。
話すほどに楽しい人です(^.^)
さて、本のタイトルですが、私が、提出した原稿の仮のタイトルは、『ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!』でした。
当時のブログのタイトルがこれで、それをそのまま使いました。最終的に本のタイトルを決定するのは、ナチュラルスピリットさんです。
どんなタイトルになるのか、楽しみに待ちました。
結局、タイトルは、『バタ足ノンデュアリティ』。サブタイトルが、『ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!』でした。
「バタ足」は、本文中に、たくさん出てくることばです。
私自身、内心、「いい言葉だな」などと思ってはいましたが、メインタイトルに、とは思いもしませんでした。
この決定が、たくさんの人に読んでもらえ、親しんでもらえる大きな要因になったことは間違いありません。
いずれにしても、本を一冊出すというのは、こんなにたくさんの人が関わってくれて、やっとできあがるんだ、ということがよくわかりました。ほんとうにありがたいことです。
こうして、2020年1月に、『バタ足ノンデュアリティ ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!』が世に出たわけです。
『バタ足1』発売から2年と10か月がたって、改めて思うこと(2022年11月追記)
この『バタ足ノンデュアリティ』を書いたとき、伝えたいことは、本当にたくさんあったのですが、なかでも、とくに伝えたかったことのひとつが、本の出だし部分にも書いた以下の二行に込められています。
すべてが自動で運ばれています。
私たちはいっさい介在することができません。
「自分で変えていける」というメッセージが世に氾濫するなか、実際、私もこのことばに、二〇年以上も翻弄され、苦しめられたわけですが、「真実」が見えたとき、「いっさい手をつけられない」ということが、どうしてもっと広く語られないのだろうかと不思議でした。
どこかでひっそりと小さな声で語られていたのかもしれませんが、そもそも私は、ノンデュアリティの本とか、真理とか悟りみたいなことが書かれたような本は読んだこともなく(ノンデュアリティの本は、一度だけ、10ページほど読んでみたことはありましたが)、何も知らないままに、このようなことになったので、たしかなことは言えませんが、大きな声では語られてはいなかったように思います。
だから、本を書いたのです。私も、ひっそりでいいから、とにかくこのことを伝えたいと。
正直、反発する人も出るだろうなあ、と思っていました。
そりゃあ、そうです。「あなたの思うとおりになどすすみませんよ。ぜんぶ自動なんだから」などと言うわけですからね。
でも、いざふたを開けてみれば、たくさんの人に受け入れてもらえました。
そのおかげで、いまでは、「全自動だよ」と大きな顔をして言えるようになったわけです。
世間から反発をくらいそうな原稿を見て、すぐに出版を決断してくれたナチュラルスピリットさんには、感謝しかありません。
『バタ足1』発売から2年11か月がたって、改めて思うこと(2022年12月追記)
もうひとつ思ったことが出てきましたので、追記の追記。
本の後半の方で、「あなたが目を開けたときだけ」(158ページ)のなかに、
あなたが今認識しているものしか存在しないんです。そして、それは瞬間、瞬間に移り変わっていきます。
右を見ていて、左を見た瞬間に、右にあったすべての存在が消えます。
高速道路を軽快に走っていたとします。今、見えている右側のガラス張りの大きなビルは、五秒後には存在しません。単に見えなくなったのではありません。存在そのものがなくなったんです。
仕事を終えて会社を一歩出たら、もう会社は存在しません。
「そんなバカな! ほら、あるじゃん」と、ビルを振り返りながら笑ってあなたは言います。
振り返ったから、現れたんです。また前を向いて歩き出したら、存在は消えるんです。これが「事実」です。
今あなたがこのページを読んでいた最中、あなたのご家族も存在していませんでした。会社も取引先も、あのラーメン屋のおやじも、田舎のご両親も、小学生のときの同級生も、誰一人として存在していませんでした。
という部分がありますが、このようなことも、2019年当時、ブログに書いたときには、「えーっ!あり得ない」とか、「虚しい」という声をいただいたものです。ですが、何と言われようと、本当なのだから仕方がありません。
じつは、この感覚は、私が中学生のときに感じていた感覚だったのです。
自分の目の前にいない人は、「いない」のだと感じていました。
存在がない、とか、思考のなかにだけいる、とかいう〝理屈〟ではなく、本当に「いない」のだと。
そんな感覚をもっていました。
けれども、これは、とても冷たいというか、よくない考えのように感じていたので、そのまま胸に閉じ込めた思い出があります。
「真実」に触れたとき、あの感覚はまちがっていなかったんだと、安堵に包まれたのをおぼえています。
こんなことも、いまでは、たくさんの人に受け入れてもらえるようになったわけです。
なんともうれしいことです。
楽しんでね。
日曜の朝をちょっと楽しくするミニラジオ番組
↓ ↓ ↓ ↓
Come on!