ノンデュアリティかなもり幼稚園

バタ足ノンデュアリティ


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〔 園長の金森です 〕

みなさん、こんにちは(^^♪

金森 将(かなもり しょう)

ノンデュアリティかなもり幼稚園 園長。

東京都練馬区出身。

30歳をすぎて願望実現にはまり、40歳をすぎてケーキ店を持ち、百貨店やエキナカへも出店する。数々のテレビに出演し、雑誌・新聞への掲載は200誌以上におよぶ。

会社が発展するなか、50歳をすぎて、突然、うつになる。うつから抜けだしたのち、あらゆる願望がはげ落ちてからしばらくして起きた突然の空白。

その後、波のように押し寄せる〝気づき〟の中身を、2019年5月よりブログにつづりはじめる。

同年11月、ノンデュアリティをわかりやすくひも解くウェブ上の幼稚園『ノンデュアリティかなもり幼稚園』を設立。

その翌年の2020年1月、一冊目の著書『バタ足ノンデュアリティ ~ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!~』(ナチュラルスピリット)が出版される。

同年8月、ユーチューブチャンネル『聴くおさらい帳』を開設。

同年11月、二冊目の著書『ノンデュアリティって、「心」のお話じゃないんですよ! ~バタ足ノンデュアリティ2~』(ナチュラルスピリット)が出版される。

2021年11月、Zoomを使ったウェブ授業『金森講義室』をスタート。

同年12月、三冊目の著書『くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373選 ~バタ足ノンデュアリティ3~』が出版される。

2022年10月、実践に特化した『根源への信頼を育てる〝実践〟講座』をスタート。

2023年1月、少し勉強がすすんだ人のためのウェブ授業『目覚めのクラス』をスタート。

同年同月、四冊目の著書『ぜんぶが夢で、ぜんぶがホント ~豪華客船オーシャン・ノンデュアリティの旅~』が出版される。

同年6月から、『ぜんぶが夢で、ぜんぶがホント』を使ったウェブ授業『読むだけで終わらせない〝バタ足4〟掘り下げ講座』をスタート。

2024年8月、4年つづいたユーチューブチャンネル『聴くおさらい帳』をお役目終了とし、新しいステージを目指す。

現在、幼稚園の基本理念のもと、園長として、日々精力的に活動をおこなっている。

世田谷在住。愛妻家。元サーファー。

幼稚園の基本理念】

かなもり幼稚園は、ノンデュアリティの裾野を広げることを使命に、ユニークでほかにはない学びの場を絶えず模索し、創造し、ノンデュアリティの真の魅力を伝えていくことを実践していきます。


〔 私が目覚める前のこと 〕

 これからお伝えする内容は、初心者にでも誰にでもわかりやすくするために、〝私に〟それが起きたように表現されています。けれども、実際には、〝私が〟目覚めたのではありませんし、何かが〝私に〟起きたのでもありません。目覚めが目覚めとして現れただけです。言うまでもないとは思いますが、一応、勘違いが起きないように先にお伝えしておきます。


 すべてが自動で現れています。

 私たちが、この自動の活動に介在することはできません。

 私たちは、まったくの無力です。

 太鼓を思い浮かべてください。

 強く叩かれれば、大きな音を出します。

 弱く叩かれれば、小さな音を出します。

 弱く叩かれたのに、大きな音を出すということはありません。

 そして、強く叩かれるか、弱く叩かれるかを自分で選ぶことができません。

 私たちが、生きているようすは、これとまったく同じです。

 なされるがままです。

 これを聞いて、反発を感じる人もたくさんいるでしょう。自分ですべてを変えていけるという考えの強い方ならなおさらだと思います。

 かつての私が、まさにそうでした。私も、多くのみなさんと同じように、「人生」と呼ばれるもののなかで、「どうしたら、もっとよくなれるか」を考え、あえぎ、がんばり、けれども、それが自分の思うようにならないことに苦しんでいました。


 高校時代はバンド活動に明け暮れ、そして、10代の終わりにサーフィンに出会うと、その二か月後には、湘南に移り住み、ろくに仕事もせずに、サーフィン三昧の生活を送りはじめました。けれども、26歳になる手前で、さすがにこのままではいけないかもしれないなどと思い、サーフィンから離れてちゃんと(?)働こうと、東京に戻りました。

 そして、四年ほどたったころに、何気なく入った本屋さんで手にした本が、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』という本でした。衝撃でした。内容がどうこういうよりも、そういう世界があること、そして、自分にも成功できるチャンスがあるということでした。なにせ、成功などということを考えたこともなかったのですから。

 私は、本に夢中になりました。のめりこみました。そして、34歳のときに、「すべては自分で変えていける」という強い信念のもと、事業を興し、夢の実現、自己実現だけを目的に走りだしました。が、二年もせずにあっけなく廃業。

 しかし、そんなことで私はくじけません。何しろ、すべては自分で変えていけると疑いもしていないわけですから。これも成功に向けてのプロローグに過ぎないのだと、意気揚々でした(笑)。


 そして、二年ほどの充電期間を経たのち、再び事業経営に乗り出しました。

 この間に、妻の影響で精神世界というものがあることを知り、妻が教えてくれた本やブログを読んだり、瞑想にハマった時期もありました。一冊目の本にも書いたように、妻に連れられて、いろいろな講演会などにも行きました。たしかに、楽しい体験ではありましたが、あくまでも、妻の〝おとも〟であって、それらの体験によって私が、悟りだとか、真理だとか、心の世界といったものに興味がわくことはありませんでした。いくつか読んだいわゆるスピリチュアルリーダーと呼ばれる人たちの本も、わたしにとっては、あくまでも、自分が目指す〝成功〟に何かつながるのではないか、という考えからであり、心の拠り所が欲しいとか、精神的なものに対する欲求ののようなものは皆無でした。

 私が望んでいたのは、ただただ〝成功〟だけ。私のなかでの成功とは、経済的な成功、それだけでした。そして、「行動がすべて」「やるべきことをやる」「為せば成る」の精神に則り、自分に鞭を打って走りつづけました。

 やがて、事業も軌道に乗り、三年が過ぎた頃には、ドイツ車に乗り、年に一度はハワイ旅行に行くなどという生活ができるようになりました。けれども、私のなかで「これは違う……」という思いが、どうしても消えないなか、精神的に不安定な状態がつづき、継続的な体の不調といったことも重なり、また、事業の行く末にも陰りが見えはじめ、考えた末、40歳を過ぎた頃、いくばくかの借金を背負って廃業を決意した。


 しかし、そんなことでくじけない私。あるとき、ふとした思いつきに近い感覚で、ケーキ店開業を思い立ち(いい加減なものです 笑)、研究と準備にとりかかりました。

 そんな安易な考えで、ちょこょっと修行らしきことをしただけでスタートしたものですから、苦労が絶えません。一度ならず〝どん底〟を経験しながらも、昼夜なく、がむしゃらにがんばったご褒美として、やがて、お店は、たくさん有名人や芸能人の方々にも利用してもらえるようになったり、また、オーナーシェフとして、いくつかのメジャーなテレビ番組に出演させてもらったり、店紹介だけならテレビも30番組、雑誌や新聞等の掲載は200誌にものぼるなど、ケーキ業界ではそこそこ知られるまでなった結果、まあ、多少は、それなりのものを得てはいましたが、仕事、人生、生き方、どれを取っても、依然として、自分が掲げた理想の姿とは遠くかけ離れたままでした。

 そんななか、あるときからあちこちに体の異変が出はじめ、やがて、それまで猛烈にあった仕事への意欲が落ちていきました。それは、やがて、生活全般へと広がっていきました。あらゆるものごとへの関心がなくなっていきました。うつでした。

 そこから、6年間、私は出口の見えない暗い闇に包まれました。〝うつっぽい〟とか〝うつ気味〟という代物ではありません。医者から「いますぐ仕事を休め」と言われた〝がっちりほんまもん〟のうつです。かなりハードな日々で、死ぬことばかりを考える日が延々とつづきました。加えて、腰の痛み、消えない頭痛、首痛、ときたま襲ってくる強烈な胃痛、股関節異常による歩行不全、消化不全、極端な体重減少などなど、精神の以外の体の異常も、それはそれはしんどいものでした。


 6年が過ぎ、そんな日々から、どうにかこうにか抜け出し、仕事に復帰できましたが、長いトンネルを抜け出たあとの私は、仕事との向き合い方が以前とは大きく変わっていました。人生そのものとの向き合い方が変わったと言った方がいいかもしれません。欲がなくなったわけではありませんが、成功や夢の実現という言葉に突き動かされるようなことはなくなっていました。

 それを象徴するような出来事がありました。突然思い立ち、本棚に収まりきらず、納戸の一部をも占拠していた大量のビジネス関連書と自己啓発に類する本を一冊残らず処分したのです。何かきっかけがあったわけではありません。ただ単に、すべて必要ないと思っただけです。

 ほぼ空っぽ状態になり果てた本棚を見つめ、私はなんとも言い表しがたい爽快感に包まれました。何かの大きな縛りから解き放たれたような、とでも言えばいいでしょうか。

 それからしばらくは、先のことなどはいっさい考えず、社長業もそこそこに、好きな映画を存分に観て、スポーツ観戦を楽しみ、ビールを飲みながら、お笑いのDVDを観てゲラゲラ笑って夜を過ごす、という生活を満喫していました。


 それから三か月ほどがたったころでした。自分のようすに異変を感じたのです。「自分が認識する前に、自分の体が動いている?」という感覚でした。

 最初に「あれ?」と思ったのは、朝の歯みがきのときでした。歯ブラシを取ろうと、そこに手を伸ばすことや、歯みがき粉のチューブのキャップをはずす行動でした。「先に起きている?」と感じました。毎日の習慣だからとか、無意識の行動と言ってしまえば、それで終わりだったのでしょうが、何かそうではないという感じがあったのだと思います。

 いろいろな場面を見てみると、それがぜんぶ、先に起きている気がしてきました。何ともいえない気持ち悪さなどもあり、本当にそうなのかをはっきりさせたくて、ひたすら自分の行動を見ていきました。

 ふいに出てくる鼻歌、あきらかに自分の意志ではない。先にはじまっているではないか。ふと空を見あげたとき、空を見あげようと思う前に、見あげるという行動が先にはじまっているではないか。道を歩いていて、ふと、今日はこっちの道から行こうと思ったとき、自分がどうこうする前に、先にその思考が現れているではないか。

 ペンを取る、パソコンで文字を打つ、コーヒーカップに手をのばす、椅子から立ちあがる、靴をはく・ぬぐ、ドアを開ける・閉める、歩きはじめる、外の景色を見る、公園を眺める、車の走る音を聞く、携帯をポケットから取り出す、バスに乗る、そのほか、目の前に現れるあらゆることを見ていきました。

「おいおい、これも先に起きている? これもかよ。おお、これもだ」という感じでした。見る材料はいくらでもあるわけですから、いつでもできるわけです。


 気がつけば私は、このおこないをおもしろがってやっていました。私にとっては、〝お遊び〟のようなものでした。これがまさか気づきのようなものにつながっているとか、そんなことは考えもしませんでした。そういったものは、自分とは関係のない世界の話だと思っていましたから。ただただおもしがってやっていただけです。

 現在、みなさんにお伝えしているさまざまな実践は、このときにやっていたことを発展させたものです。私は、これらを〝お遊び〟とか〝たしかめ作業〟と呼んでいます。〝お遊び〟というのは、本当に単純なことをやっていただくだけで、眉間にしわを寄せて、心のなかを探ったりするようなものはないからです。〝たしかめ作業〟というのは、読んで字のとおり、たしかにそうなっているということを、実際に、自分自身で〝たしかめる〟作業だからです。

 さらにつづけていくうちに、「どうやら、この世界は、自分がどうにかできる世界ではないようだ」という考えが強くなっていきました。そりゃあ、そうです。ぜんぶ自分が思うより先に起きてしまっていると感じていたのですから。


 そんな〝お遊び〟をはじめてから、半年ほどした頃でした。1月半ばの明け方のことです。私は、思いもよらない出来事に遭遇しました。

 その頃、頻繁にあったことなのですが、この日もまだ暗い明け方に目が覚めてしまい、しばらくぼうっとしていましたが、前の日に職場に忘れ物をしたことを思い出した私は、分厚いダウンジャケットを羽織り、自宅から歩いて一〇分の場所にある職場に向かいました。漆黒から濃藍(こいあい)に変わりはじめた透き通るような空にはまだ星が瞬いていました。

 家を出てすぐの角を曲がると三〇メートルほど先に、白っぽいロングコートの背を丸めて歩く男性のうしろ姿が目に飛び込んできました。その背格好と佇まいは、私にある有名人を連想させました。地位も名誉も金も、おそらく人望も、すべてを勝ち得たと思われるその人物は、かつて私が成功だけを追い求めていた頃に、到底たどり着けるはずもない、はるか彼方に見ていた憧れと羨望の対象でもありました。私が住むこの地域には著名人の邸宅が点在しています。その人物がここにいることが絶対にあり得ないこととは言い切れません。もともと芸能人が好きなミーハーな私はにわかに浮き立った気分になり、もう少し近づいてみようと足を速めました。

 そのときでした。

 私の体が男性とぴったり重なってしまったように感じたのです。男性のなかに入り込んでしまったと言うべきでしょうか、そんななんとも言えない感覚でした。

 その瞬間、戸惑いよりも先に私が感じたものは、たとえようのない寂寥(せきりょう)のようなものでした。私がうつで経験した重たい暗闇とはまったく異種の、胸が締めつけられるような淋しさでした。この出来事が自分勝手な想像であることは重々わかりながらも、このとき私は、いわゆる成功者と言われる存在の内面を垣間見せられたような気がしたのです。全身から力が抜けていくようでした。

 これ自体、いかにも不可解な出来事ではありましたが、私がほんとうに驚いたのは、この直後に起きたことです。

「成功」というものを知ってから三十年近く、胸のなかに積もりに積もっていた欲という欲が、ごっそりはげ落ちるのをはっきりと感じたのです。

 もういらない、と。

 このとき私の脳裏に現れた「もういらない」は、私がすでに手にしていたものはなくならずに確保されることが大前提にあったと思います。けれども、まちがいなくいま以上の何かを必要としていない自分がそこにいました。

 私は茫然としたまま、辺りを照らす街灯の青白い光を見上げていました。ロングコートの男性は幻覚だったに違いありません。私が再び歩き出したときには、もうその姿はどこにもなかったのですから。

 一つ言えるのは、このときの、ほっとしたような感覚は、何とも言い表しがたいものでした。

 これは私にとってはたいへん大きな出来事でした。30歳を過ぎて、一冊の本に出会い、それまで、成功などというものを考えたこともなく、のほほんと暮らしてきた私が、一八〇度変わり、以降、「すべては自分で変えていける」という強い信念のもと、夢の実現、自己実現だけを目的に走りだしてからずっと、脇目も振らずに「もっと上、もっと上」と、それだけを考えつづけていたことが、突然、ごっそり消えたわけですから。

 そして、このあとも、自分の行動を見る〝お遊び〟は、なんとなくつづけていて、「ああ、たしかに勝手に動いている」という感覚をおもしろがって眺めていました。

 それから、さらに三か月ほどがたったある日、本にも書いた、あの〝空白〟が起きたわけです。それは職場で起きました。20分ほどのあいだでした。すべてが自動で運ばれていました。私の体が自動で動き、私の仕事は、自動でおこなわれていました。ただ、これはあくまでも、あとから振り返って、そうだったということであり、その真っ最中には、そんな意識はありません。「ゼロ」の状態です。仕事がなされていた記憶もたしかなものではありません。たしかなことは、その20分のあいだに、仕事が完璧におこなわれていたということです。じつは、その一時間ほど前、外を歩いているときにも、30秒ほどでしたが、同じような〝空白〟が起きていました。

 けれども、このときの私は、「またあれか」みたいな感覚しかありませんでした。というのも、以前、瞑想に凝っていた時期があったのですが、そのころに、二度ほど、一般によく「一瞥」(ほとんどがただの錯覚)と呼ばれるような体験をしていました。

 一度は、自分が空間に溶けていきました。もう一度は、あるとき自分がとてつもなく大きなものに包まれていることを感じました。涙があふれて止まりませんでした(※このことは、そのうちどこかでお話しすることになるでしょう)。そのほかにも、小さなことなら、自分がまわりと離れて存在していないことや、公園でぼんやりしているとき、少し離れたところにある木と、私の首から下の境がなくなったなどなど、このような体験は、いくつも体験していました。けれども、私は、こういったことにまったくといっていいほど関心がなかったので、この〝空白〟の体験も、「またあれか」という程度の感覚でしかなかったのです。

 ところが、そんな私の考えは、それから二日ほどたってから丸ごとひっくり返りました。それまでのものとは、まったく違っていました。日を追うごとに、現在、みなさんにお話ししているようなことが、押し寄せる波のように、つぎつぎにわいてきたのです。

 二か月ほどしてから、ブログをはじめようとしましたが、ある理由から、一度、取りやめ、その三か月後に改めてスタートし、それがきっかけになって、本を書く機会をいただき、現在にいたっているわけです。

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〔 インタビュー動画いろいろ 〕

新しい順に並んでいます。

2024年11月公開。『ただそうあるだけ』出版インタビュー動画。

2022年2月に公開されていた4つの動画を、一つにまとめて、2024年4月に【完全保存版】として再公開された動画です。

『くり返し触れたい《バタ足メッセージ》373選』出版インタビュー動画。ナチュラルスピリットにて。

2023年6月公開。『ぜんぶが夢で、ぜんぶがホント』出版インタビュー動画。

2023年3月公開。ビコさんとのおしゃべり動画。

2022年2月公開。『くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373』出版後の打ち合わせ時に〝ついで〟に収録された、3分ほどの短い動画。

2022年1月公開。『くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373選』出版インタビュー動画。

2020年2月公開。『バタ足ノンデュアリティ』出版インタビュー音声。※映像なし。

〔 雑誌・ウェブマガジン連載 〕

隔月刊雑誌『岩戸開き』(ナチュラルスピリット刊)第10号(2023年12月13日発売)に記事掲載

 特集への単発の寄稿です。内容は、「真我」についてなのですが、「真我そのものについてではなく、どうしたら自覚できるのか、認識できるのか」というテーマで、との依頼でしたので、そのような記事を書きました。

 なかなかいい内容に仕上がったと思います。見開き2ページの記事です。

 アマゾンでの購入は、こちら

隔月刊雑誌『岩戸開き』(ナチュラルスピリット刊)に、コラム掲載(2022年6月~2023年4月)

タイトル『ノンデュアリティって、スピリチュアルじゃないんですよ!』(全6回)

 神様や宇宙や知らない世界満載のバリバリのスピリチュアルな世界観のなかで、このコラムのタイトル。いいのだろうか?(^.^)

 第1回 身近な対人関係 ー 平和な関係をぶち壊す〝争い製造機〟の話

 第2回 仕事とノンデュアリティの話 ー 仕事とノンデュアリティの感覚が相容れない? ふふふふ、大いなる勘違いです。

 第3回 「わたしはいない」についてー わたしが消えた? ハハハハハ、夢を見ているだけですよ! 

 第4回 「解放」についての話 ー「解放」が起きると、「自分」が楽になる? 「自分」が自由になる? いやいや、そうじゃありませんよ。

 第5回 「一瞥」なるものについて ー「〝一瞥〟を体験したんですけど、このあとどうしたらいいかわかりません」というご相談を受けることがよくあります。とても大きな勘違いをしています。

 第6回(最終回)「本来の自分」「あるがままの自分」というものは、探したり、追い求めたりするようなものではありませんよ。

ナチュラルスピリット、ウェブマガジン『スターピープル』にコラム掲載(2020年11月~2021年4月)

タイトル「金森将の『生きる世界が変わるノンデュアリティ入門』」(全6回)

 このお勉強をすすめるにあたってのとても大切なことが書いてあります。

 タイトルに「入門」とありますが、舐めてはいけませんよ(^.^)

 第1回 問題というものは最初からない

 第2回  「自我」とか「分離」とか、難かしげな言葉に振り回されないでね

 第3回 勉強で間違えやすい点「あなたは大丈夫?」

 第4回 ノンデュアリティに触れた多くの人がぶつかる大きな壁のお話

 第5回 このお勉強の「キモ」であり、「土台」となる重要なお話

 第6回 (最終回)本当に必要なのは、生きている“そのままのようす”を感じること

〔 おまけプロフィール&エッセイ 〕

①どうでもいいプロフィールとエッセイ

 小さい頃はぜんそくだったとか、小学生の頃は、漫画家になりたかったとか、好きな言葉だとか、どうでもいいこと。それと、エッセイ四つ。


②エッセイ『トンボのメガネ』

 以前、アメブロでお届けしていた『週刊 園だより ~園長雑記~』で連載していたエッセイ『トンボのメガネ』を、ひとつのページにまとめました。私のこどもの頃から30歳頃のことを、ざっくりとつづったエッセイです。全19回。よかったら、どうぞ。


〔園長のおまけプロフィール&エッセイ〕ページへ

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